PUKYONG

日本 古代 大宰府의 성립과정 연구

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Alternative Title
A Study on the Establissing of Dazaifu in Ancient Japan
Abstract
論文要旨(抄錄部分)
本稿では宣化元年5月辛丑條に記す、那津の海邊に新たに修造した官家が筑紫大宰の官制的起源として求められることについて、注目して調べてみようとした。とくにⅡ章のなかでは、那津官家の形成過程と大宰府の歷史的景觀とを背景として、同じ時代の狀況の中で分析してみることにした。
6C代、地方最大の戰亂だった筑紫君磐井の亂を鎭壓した後、以前に磐井の勢力圈であった地域に、次々の屯倉を設置していくのをみると、軍事的な重要性が窺い知れる。このような軍事的目的で屯倉とか官家が設置しているに違いない。それに、大伴狹手彦が韓半島へ出兵し、また磐の筑紫を據點として執政した記事からも、西海道の軍事的な重要性を排除することはできない。これは、以後の筑紫大宰と共通の機能につながっていくといえる。また、律令制の下の大宰府のことではあるが、軍事的機能を重んじているところがみられる。
大宰府は、西海道九國の軍團とは別に防人を率いる。邊境の防禦のために東國などから選ばれた、およそ二千人以上の防人が、大宰府管轄のもとで西海道の海岸に駐屯する。また、この防人を率いる防人正と防人佑が設置された。防人正は七位の官人であったので、軍團を指揮する軍毅が無位でも任命できることとは、格差が大きい。こういう点からも、大伴磐が執政していた時の長官の機能も大宰府機能の一つである軍事的機能と關聯しているに違いない。
6世紀の中盤頃は、新羅の任那合倂があり、それに伴って大和政権は危機感が高潮した。それで、大和政權が政治的ㆍ軍事的據點の必要が高まって、那津官家が設置されることとなった。すなわち、九州北部の重要性が高まり、那津官家が出現されることになったとみなされる。位置的な重要性も大宰府の特殊性とつながっている。それて、本硏究では、大和王權が新羅を絶え間なく自國に復屬させる意圖をもっていることとみなして、軍事的必要から那津官家が設置され、これが筑紫大宰の官制的出發點、すなわちその起源であると判断する。
Ⅲ章では、前期筑紫大宰について、その當時の情況をよく推察しながら問題點を分析して見た。先に述べた2章のなかでの倭は、神功皇后傳承を土臺に設定して、新羅の宗主國であるという立場を主張していた。このように、倭に朝貢を捧げているように映されている新羅であるが、倭の隋ㆍ唐使節への接待と比較してもほぼ對等な接待を受けている。
新羅の飾馬の長と唐の掌客である人が同一人物である。當時の新羅使の場合、この前、來着した裴世淸とほぼ同じ時期(二個月前)に筑紫で滯在しているが、那津官家の位置とみられる場所で筑紫大宰の外交的な機能(蕃客,客館)を成し遂げてあったことが推察できる。韓半島から諸國使の來日が、筑紫經由であることが必ず資料上にあらわれているわけではないが、那津の經由が實行されたこそ筑紫大宰の對外的機能が發揮されると判斷した。
大宰府で行った對外關聯の諸業務が、日本古代國家地方機構の廣義の‘外交機能’であるとみることができるし、到着地での使節を初めて直接接代する所で、來客に應じる機構が大宰府であるにちがいない。このゆえに、推古十七年以後から齊明期までの韓半島諸國使たちの頻繁な訪問と応對は、大宰府の獨自的な外交機能の初期的形態でみてもよいし、このような機能は以後の大宰府の機能とも通じているだろう。さらに、このような使節達の來日の中で初めて到着する場所、筑紫での筑紫大宰が遂行していた機能は、見逃してはいけない。
そして、推古朝の筑紫大宰は、外國の使節に對する管理ㆍ監督という初期段階の蕃客接待ㆍ客館運營などの職務を遂行したとみられる。そのため、大宰府成立過程についても那津官家は、筑紫大宰の起源として繼承ㆍ發展していったとみられる。
本稿では、大宰府の起源の問題点と關聯して、推古朝の征伐記事を韓半島からの觀點で察することにした。また、韓半島諸國使の渡日の時、隋とほぼ對等のように賓客として應待されていたことなど、急變する東アジア情勢と、日本國內の中での蘇我馬子が、權力を振り回していた時期との時代に着眼して、その当時の歷史的背景とつながリを考えてみた。
Author(s)
박옥희
Issued Date
2012
Awarded Date
2012. 2
Type
Dissertation
Publisher
부경대학교
URI
https://repository.pknu.ac.kr:8443/handle/2021.oak/9126
http://pknu.dcollection.net/jsp/common/DcLoOrgPer.jsp?sItemId=000001965595
Alternative Author(s)
Park, Ok Hee
Department
대학원 사학과
Advisor
이근우
Table Of Contents
목 차

Ⅰ. 연구사와문제제기 1
1 大宰府 연구의 흐름 2
2. 大宰府 政廳 재발굴과 새로운 연구동향 14
3. 大宰府 기원에 대한 연구와 문제제기 19

Ⅱ. 那津官家의 군사적 기능 23
1. 神功皇后의 전승과 나진관가 24
2. 宣化代의 屯倉 설치 기사 28
3. 磐井의 난 34
4. 推古朝의 신라 정벌 기사 37

Ⅲ 前期 筑紫大宰의 성격 41
1. 축자대재 43
2. 신라 사신의 응대 51
3. 令制 大宰府의 기능 55

Ⅳ. 결론 60

• 참고문헌 65

• 부록 70

• 감사의 글 79
Degree
Master
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